2013年御翼9月号その2

「ヒロシマと共に生きる」近藤紘子さん

 牧師・平和活動家であった谷本清の娘・近藤紘子(こうこ)さん(六十七歳)は、生後八カ月のとき広島で被爆、爆心地から1.1キロの地点にいたにもかかわらず、母親と共に奇跡的に助かる。被爆体験の記憶はないものの、戦後の広島での自らの体験を語ることによって、核兵器と戦争の虚しさを訴えている。
 少女時代、広島流川(ながれかわ)教会を訪れる多くの若い女性の顔にひどい火傷の跡を見ることが怖かったという。そして、優しいお姉さんたちをそんなひどい目に合わせたのが原爆だったと知り、「子供心に、B-29エノラゲイに乗っていた人を探して、パンチしたり、蹴ったり、噛んだりしてやろう。爆弾を落とした人間は悪い奴で、自分は正しい人間だと、そう思っていた」と言う。
 リベンジの機会は意外にも早く訪れる。1955(昭和30)年、アメリカの人気テレビ番組「This is Your Life」に父、谷本清さんが出演するが、清さんへのサプライズとして、テレビ局が妻サチさんと紘子さんら子供たちを番組に招待した。そこで出会ったのが、エノラゲイの副操縦士だったロバート・ルイスさんだった。会ったらいつか仕返しをしてやろうと思っていた相手が目の前にいる。当時10歳だった紘子さんは、目を見開いて、じっと彼をにらみつけた。しかし、原爆を落とした広島を上空から見ると「広島が消えていた。そのとき、Oh, God. What have we done?(神さま、私たちは何ということをしたのだろう)と飛行日誌に記した」と語る彼の目から涙があふれていた。悪人だと思っていた人の涙を見た瞬間、紘子さんは、相手を一方的に恨んでいた過ちに気づく。その人にも苦しみがあり、自分の中にも悪があることを知った紘子さんは、自分の考えが百八十度変わり、これまで見えていた景色が一変したという。
 紘子さんはその後、東京の高校を卒業後、アメリカの大学に入学する。楽しい学生生活を送り、人生の伴侶となる人との結婚が決まりかけた時、紘子さんが被爆者だったと知った相手の母が反対し、婚約破棄となる。悲しかったが、その時初めて、少女時代優しくしてくれた被爆したお姉さんたちの悲しみが理解できた気がしたという。その後、縁談に恵まれ、現在、核兵器を「私が生きている間、完全になくしてほしい」と強く願い、国内外で講演活動を続けている。政府を動かすことは難しい。でも、市民が団結すればできないことはないと語る。それは父親からの教えでもあった

近藤紘子(ひろこ)さん プロフィール
1944年11月20日広島生まれ。国内外で講演活動を行う他、日本で行き場を失った子供を海外に養子として紹介する「国際養子縁組」を続けている。「財団法人チルドレン・アズ・ザ・ピースメーカーズ」の国際関係相談役も務めていた。著書に「ヒロシマ、六十年の記憶」(徳間文庫)がある。

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