森永製菓の創業者     森永太一郎

 明治32年(1989年)、日本で初めてキャラメルを製造販売し、15年かけて日本人の嗜好に合うように改良したのが森永製菓の創業者・森永太一郎 (1865-1937)である。カビが生えないよう、一つずつ包んで一箱20個のパッケージに入った森永キャラメルは、飛ぶように売れた。当時の新聞広告には、「禁煙を欲せらるる 紳士淑女のため 特製ポケット用」とあった。明治時代に、禁煙の先見性である。
 慶応元年(1865年)、森永太一郎は豪商の家に生まれるが、父親が事業に失敗、多額の借財を残して太一郎が6歳のときに死去する。母親は資産をすべて売り払い、借金を返し再婚するが、再婚相手が太一郎同伴を拒み、彼は7歳で孤児になる。親戚の家をたらいまわしにされた太一郎は、19歳の時、一流の商人をめざして上京する。陶磁器を輸出する店に勤め、20歳でセキと結婚するが、店の経営が傾くと、陶磁器を直接アメリカ人に売ることを思いつき、単身で渡米する。しかし、言葉もろくに通じず、ただ同然でたたき売り、帰路の旅費もなくなる。やむなくコック、皿洗いなどをして生活するが、人種差別にあい、一時は酒に溺れかける。おめおめと帰国もできないと悩み、公園のベンチに座って二日酔いを覚ましていると、60歳ぐらいの上品な婦人が軽く会釈をして隣に座り、バッグからキャンデーを取り出して食べさせてくれた。太一郎は思わず「うまい!」と叫び、洋菓子職人になろうと決心する。早速、菓子工場で働き、技術を学びたいと思ったが、当時は人種差別のため、日本人が菓子工場で働くことは難しい。森永はハウスボーイ(住込みの召使い)をしながらアメリカ人の家を転々とし、チャンスを待つ。そして、オークランドの老夫婦の家に流れ着く。親切な夫妻はクリスチャンで、日本人である太一郎を対等の人間として扱い、見下すことはなかった。感激した太一郎は、キリスト教に興味を持ち、オークランドの日本人教会で求道し、洗礼を受けた。信仰の喜びを得た太一郎は洋菓子職人の夢を捨て、帰国して伝道者になろうと決心する。太一郎は、故郷の佐賀県伊万里(いまり)に帰ると、親族や兄弟に盛んに福音を説くが、アメリカで頭がおかしくなったと思われるだけで誰にも相手されない。落胆した森永は、菓子職人になるため、再び渡米する。
 11年の菓子修行を終えた森永は、明治32年(1899年)、34歳で帰国、赤坂の溜池に二坪の小屋を借りて「森永西洋菓子製造所」を開業する。太一郎は、宣伝販売をするためにガラス張りの屋台式箱車を作らせ、その中にチョコレート、キャンデー、ケーキを積んで町を歩く。この屋台の屋根には「キリスト・イエス罪人を救わんために世に来たりたまえり」(テモテ前書1章15節)という聖句を書いた看板が打ち付けられていたため、「ヤソの菓子屋さん」と呼ばれ有名になる。彼は、洋菓子と一緒に、福音を日本中の人に知ってもらおうと思ったのだ。品質第一を心がけ、駐日アメリカ公使夫人や皇室からも注文がきた。やがて箱入りのミルク・キャラメルがヒット商品となり、全国的に有名になると、太一郎の信仰は一時冷え切る。金が儲かり、立派な家を買い、欲しい物は何でも手に入るようになると、彼は祈ることも神を礼拝することもなくなる。贅沢に明け暮れ、家庭も乱れ、家族は不幸のどん底にあった。妻の死を通して悔い改めるまで、太一郎の光と闇の二重生活は続く。約30年後、大正4年、妻セキが肋膜下膿瘍で死去(享年56)する。苦労をかけた妻の死に、太一郎は一時もぬけの殻のようになり、アルコ−ルに溺れる。しかし、妻が夢に出てきて太一郎をたしなめ、立ち直った。この時彼が詠んだ自戒の和歌がある。    

酒は毒、飲むな飲ますな笹の露 
一しずくだに、飲むな飲ますな

 苦労を共にした妻の死を契機に、森永は自分の誤りを認め、神に立ち帰る。大正12年(1923年)、関東大震災で、「本社、工場とも損害は殆どなく、従業員も無事」の知らせを聞いた太一郎は、即座に被災者救援活動を開始、菓子やミルクの庫品を全部無料で被災者に配った。幹部が無謀だと反対すると「これは神様とお客様にお返しするのです」と答えたという。 昭和10年、70歳で社長の職を退いた後は、「我は罪人の頭なり」と、神の愛とキリストの赦しを語って全国の諸教会を歩いた。神よりもお金を愛してしまった自分の罪と、こんな自分すら赦し回復して下さった神の愛を証しした。京都の教会で、森永がキリストの罪の赦しを語ると、突然、一人の男が前に出てきて泣き出し、「私は人殺しです」と19年前の罪を告白した。森永がその男の手をしっかり握ると、男は「はればれとしました。警察に自首します」と言って去った。森永はその後何日もその男のために祈り続けたという。1937年(昭和12年)、持病で入院していた73歳の森永の唇から流れる愛唱歌(賛美歌320番) は次第に薄れ、家族に見守られる中、静かに天に召された。 森永製菓のエンゼルマークは、神の恵みを人間に伝える天使をモチーフに、森永が自ら描き上げたものである。

御翼2010年4月号その4より  
  
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