「神礼拝と偶像礼拝」

A. 桜―自己犠牲のシンボル

 「武士道とは日本の象徴たる桜の花のようなもの」と、新渡戸稲造は明治時代に著した『武士道』の冒頭に記しています。桜は、花がしぼんでからではなく、綺麗なまま散ります。そこに日本人は自己犠牲の精神を感じるのです。そのため、武士道的な美徳を重視した旧日本軍でも桜は自己犠牲のシンボルとして多用されました(特攻機「桜花」など)。現在の警察官および自衛官の階級章も、他の国なら星形を使うべき所を桜花で表しています。これらの職種は国民の生命と財産を守るために命を投げ打つと宣誓しているためです。 
 これほど桜の花を愛する国は、世界でも日本だけです。イエス様の犠牲愛に通じる花を、神さまが与えてくださったことは、大いなる恵みなのです。

B.聖書より

(14)使徒たち、すなわちバルナバとパウロはこのことを聞くと、服を裂いて群衆の中へ飛び込んで行き、叫んで(15)言った。「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。使徒言行録14章14〜15節
 外国人の所へ伝道旅行に来たパウロが足の不自由な男をいやすと(10節)、パウロとバルナバはこの地方に伝わる伝説上の神々と間違えられ、バルナバは、神々の王ゼウスと、そして弁論しているパウロは、弁論の神であるヘルメスと呼ばれます。リカオニアの人々は彼らに献げ物まで持ってきました。
 パウロの「服を裂く」行為は、神さまを汚したための、恐れと悔い改めとをあらわす態度でした。神さまだと崇められたパウロは、自分たちも同じ人間であり、皆が偶像を捨てて、神さまに立ち帰るように、イエス様の福音を告げ知らせている、と語りました。

C. 「ビジネスと信仰」―佐々木満男先生

 クリスチャン弁護士の佐々木満男先生が「ビジネスと信仰」という題で以下のように講演されました。
 「・・・信仰とビジネスは共に聖書の原理に従うべきである、というのが、クリスチャンのビジネスマンのとるべき考え方です。信仰とビジネス(職業・社会生活)を一致させた人々も大勢います。例えば、矢内原忠雄氏(東大総長)、速水優氏(日銀総裁)、三谷康人氏(カネボウ専務)などです。周囲から(社会から)さまざまなバッシングを受けましたが、その信仰のゆえに職業生活を通して神さまの栄光を現しています。
 「信仰・ビジネス一元論」を貫く聖書の原理とは、「神の国と神の義を、まず第一に求めなさい。」(マタイ6・33新改訳)ということです。ビジネスの成功が第一目標で、信仰をその手段とすることは、自分の栄光を現すために、信仰を利用してビジネスを成功させようとすることです。これは「信仰・ビジネス二元論」です。かつてのアメリカは「信仰・ビジネス一元論」によって経済の繁栄を実現し、神さまの栄光を現しましたが、現代のアメリカは「信仰・ビジネス二元論」に堕落し、それが経済の没落を招いています。今や、「信仰・ビジネス一元論」をモットーとする韓国の経済は急激に発展しています。」
 第一とすべきことは、イエス様を信じる信仰を通して父なる神さまと深い霊的な関係を持つことなのです。

D.結び

 偶像礼拝をする異教に対し、クリスチャンは人や自然を神さまにせず、自己中心的ではなく、創造主なる神さまに従いましょう。イエス様を通して、この神さまと親しく交わり、喜びの貯水池を満たしていただきましょう
御翼2010年5月号その2より


  
世界で活躍したクリスチャン HOME