歌謡曲「人形の家」の真意 ―― 作詞家・なかにし礼

 一九六九(昭和四十四)年、百万枚を売り上げた歌謡曲「人形の家」(作詞・なかにし礼)は、「私はあなたに命をあずけた」という歌詞から、失恋の歌であると国民は思っていた。ところが二〇一七年、なかにし礼さんがこの歌詞の真の意味を発表した。それは、満州で生まれ、敗戦時6歳で日本に引き揚げる時に、日本国に捨てられた体験を歌っているのだという。
 なかにし礼さん(本名・中西 禮三(れいぞう))は、敗戦後、満州からの引き揚げで家族と共に何度も命の危険に遭遇する。「満州で敗戦を迎えた私たちは三度にわたり、国家から見捨てられたわけです。一度目は、関東軍によって棄民されます。二度目は、『居留民はできるかぎり現地に定着せしめる』という外務省からの訓電です。そして三度目は、引き揚げ政策のGHQ(連合国軍総司令部)への丸投げでした」と中西さんは言う。(二〇一七年八月十五日 東京新聞 朝刊)
人形の家   作詞・なかにし礼
顔もみたくないほど あなたに嫌われるなんて
とても信じられない 愛が消えたいまも
ほこりにまみれた人形みたい
愛されて捨てられて
忘れられた部屋のかたすみ
私はあなたに命をあずけた  
(二○一八年のラジオ深夜便より)
満洲国は、日本が勝手に中国東北部につくった国だと見られている。しかし、『日本宣教論』の著者・後藤牧人牧師によると、その頃、この地域は百年以上、中国の支配の及ばない地域で、私的武装暴力集団がいくつも発生し、一定の勢力範囲を統治し、常に戦争状態にあったという。それぞれの地域で紙幣を発行し、税金を徴収、無警察、無秩序の状態であった。満州の紙幣は数十種類もあった。二万人にも及ばない関東軍が、何十万人にも及ぶ武装集団を一層した。それができたのは、民衆がこれら武装集団を憎み、日本軍を歓迎したからであった。満洲国の建国に伴い、通貨は一種類に統一され、初めて安心して働けるところとなる。満州を日本の関東軍が治めるようになって、治安が良くなったのだ(治安の回復ではない。それまでは治安など存在していなかった)。
 そうはいっても、日本が中国大陸で武力を用いて自国の勢力範囲を広げようとしていたのは事実である。そして中国での利権争いの結果、日本は米国に敗れ、満洲国はソ連に占領され消滅した。
 戦後の日本は、民需を中心に産業が発展したので、神に祝されてきた。しかし、日本政府は今年四月、長年にわたる武器輸出の制限を緩和、十数カ国以上への武器輸出を可能にした。これまでは武器輸出の目的を「救難・輸送・警戒・監視・掃海」に限っていたが、殺傷能力のある兵器を輸出できるようになる。武力や軍需に頼る国にならないよう、祈ってこう。
        御翼2026年7月号その1掲載