文学部志望が教育学部へ―― 藤掛 明 兄
聖学院大学で臨床心理学を教えておられる藤掛 明 兄は、メンタルヘルス(心の健康)のためにキリスト教カウンセリングセンターで活動している。藤掛兄は、特にストレスとどう向き合うかをテーマとしている。例えば、志望校への受験に失敗し、別の大学に行く様に導かれた、とクリスチャンが言うことがある。しかし、信仰生活とは、神の主権と計画を信じながらも、人として努力し、責任を負う生き方である。点数が低かったために志望校に行けなかったのに、それが神の御心だった、滑り止めが神に与えられた場所だ、などと決めてしまうと、ストレスが溜まってくる。
藤掛兄は、「神の主権と人間の努力は、どちらも大切なものです。100パーセント神に委ね、100パーセント自分にできるベストを尽くす。どちらかだけに気持ちが向かうと、とたんにバランスが悪くなってしまいます」と述べている。つまり、自分の努力や失敗とは関係なく、すべてが神の御心だというのではなく、100パーセント神に主権を信じながらも、自分にも100パーセント責任がある、という心構えで、最善を尽くしていけば良い。そのとき、どんな場所からでも、神は人生を祝福へと導いてくださるのだ。
藤掛兄は、中学生の頃から教会に通い始め、高校卒業時に受洗した。将来はクリスチャンとして社会に影響を与える仕事がしたいと思い、クリスチャン小説家の三浦綾子さんのような働きに憧れていた。そこで、日本文学を専攻しようと大学入試に挑戦するが、一つだけ合格した大学は教育学部で、希望の文学部ではなかった。「もう一度浪人して、初志を捨てないことこそ神の導きに従うことだ」とも考えたが、祈りの中で、文学よりも教育の方が人の生き方に直接的に関われる分野かもしれない、「教育」の分野に導かれたのかもしれないと感じ、合格した大学に進学した。ところが、いわゆる有名校でないといういらだちのようなものから不満を覚え、一年目の後半には、教育学部で他大学のいくつかに受験の出願をした。
しかし、教会の新年の集会で講師から、「あなたはまわりが変わるように祈るけれど、なぜ自分が変わるように祈らないのか。今の環境が本当に神さまのご計画によって備えられたとは信じられないのか」との言葉が、神からの直接の語りかけだと受け止めた。そして祈り、今の学びでよいのだ、主がわざわざこのように導いてくださって、今、自分はこの大学にいるのだと感じた。これが、進路を決める上で、体験した悔い改めだった。藤掛兄は、牧会の領域でも心理臨床の果たせる役割もあると感じている。
藤掛 明『人生の後半戦とメンタルヘルス』(キリスト新聞社)より
