2022年御翼6月号その3

 

復讐を神に委ねた佐藤陽二

 四十年後 「えくれしあ」一九八五年八月 佐藤陽二主筆 より
アメリカによって、帝国海軍から追い出された私は、故郷に帰らざるを得なかった。途中で見た広島はもちろん、東京に至るまでの大都市は、ほとんど焼野原となっていた。そこで私は、いつか必ず、米国本土へ原子爆弾を落してやろうと決心した。ヒロシマの原子雲を目撃したからである。そのころの私は、ソ連とアメリカとを憎みに憎んだ。そして、心に復讐を誓った。
 人間とは不思議なものである。人を憎めば憎むほど、自分自身の心が、寂しく、又むなしくなってくる。そのむなしさに耐えられなくなった私は、人生の意味を求めて、聖書を読み始めた。その聖書には、次のように記されていた。「愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、『主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』と書いてあるからである」(新約聖書・ローマ人への手紙十二章十九節)。
 これを読んだ時に、私は驚き且つホッとした。驚きとは、人間の思いとは全く、かけ離れた精神が、そこに記されていたからである。ホッとしたとは、自分で復讐しないでもよい、と考えたからであった。そして復讐することをやめた。その時の私は、神がいるかいないか、と論ずる必要がなかった。ソ連とアメリカとに復讐しようとしていた私には、「自分で復讐するな」という言葉が、あまりにも、激しく重くひびいたからである。そして、これが神の意志なのだと思わざるを得なかった。
この生ける神を信じ、従って行こうと決意し、父は戦後、牧師となったのである。(頭上に…炭火を積む→神のみ前に、恥に気づくこと」)


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