2022年御翼6月号その2

 

二つのJに身を献げた内村鑑三

  内村鑑三(一八六一~一九三○)の聖書研究は多くの魂を養い、日本の各界に大きな貢献を果たした逸材を多く生み出している。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のモデルとなった斎藤宗次郎も内村の愛弟子であった。
内村鑑三は、最初の妻との結婚が破局したことがきっかけで、キリスト教の根本を学ぶため米国に渡った。職がないので知的障がい児の施設で働くが、少年たちからジャップと馬鹿にされる。内村はそれを、結婚に失敗したことへの神の罰だと思い、やがて試練だと受け止め、神からの試練を自分の力で克服すれば、義となれると考えた。ところが、どうしても克服できず、行き詰まっていたところ、同時期に米国にいた新島 襄の勧めで、マサチューセッツ州アマスト大学に行く。そこで出会ったシーリー学長は、罰や試練に耐えることで罪を克服していた内村にこうアドバイスした。「自分の力で自分を聖(きよ)くしようと思ってもできない、自分の罪に代わって十字架につけられて死んだイエス・キリストにおいて、義がある」、と。これによって内村のキリストへの信仰は本物となった。こういう問題については、限界まで苦しんだ者であれば分かる、と立教大学名誉教授・鈴木範(のり)久(ひさ)氏は言う。
 アマスト大学卒業後、内村はハートフォード神学校に入学するが、そこでは教会の運営の仕方や献金の集め方などを教えており、伝道事業が職業と化していた事実を知る。内村が「キリスト教の聖地」と理想化していたアメリカは、日本では想像できぬ人種差別や犯罪がはびこり、キリスト教は世俗化していた。そんなアメリカのキリスト教には見切りをつけて、内村は神学校を中退して日本へ帰国する。そして、日本に対しても配慮した形のキリスト教への考えを作り上げようとした。そのため、内村が元々持っていた日本への愛国心とアメリカのキリスト教ではないキリスト教そのものへの信仰を合わせて、「二つのJ」に身を捧げようと決意する。二つのJとは、キリスト(JESUS)と日本(JAPAN)である。
 留学先のプロテスタントの国アメリカ合衆国で見たのは拝金主義と物質文明に毒された社会であり、清潔で真面目な道徳的精神の生きている日本こそ、キリスト教の理想を実現し真のキリスト教が根付く国であると確信したのだった。「私どもにとりましては、愛すべき名とて天上天下ただ二つあるのみであります。その一つはイエスでありまして、その他のものは日本であります。…私どもはこの二つの愛すべき名のために、私どもは生命を捧げようと思うのであります」と。しかし、自分の国だけを考えるのは、つまらない愛国であり、それはならず者だと内村は言う。そこで、「自分は日本の為に、日本は世界の為に、世界はキリストの為に、凡ては神の為に (I for Japan, Japan for the World, The World for Christ, And All for God)」との目標を掲げたのであった。


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