2022年御翼3月号その3

 

寅さんを信仰に導いた奥さん ―― 渥美 清と正子夫人

 「あれほど家庭の〝匂い〟を表に出さなかった渥美さんですが、誰にも見せたことのない〝父親〟としての素顔を、私にだけは見せたことがありました。本名の〝田所康雄〟に戻ったときの渥美さんは、あの〝寅さん〟からは想像もできない厳格で男っぽい、ずっしりと一本筋の通った父親だったのです」と、渥美清の逝去まで14年に渡り付き人を務めた、俳優の篠原靖治は記している。
 家族は妻と子ども二人(息子、娘)であり、子どもたちをよく躾けたという。そして、正子夫人は献身的に夫に仕え、渥美さんは「正子、正子って、とても可愛がってくれた」と正子さんは思い出を語っている。
 二人の〝デート〟は、夫婦そろって代官山やお茶の水にある小川軒に出かけることが多かったそうです。渥美さんはカレーライスやハヤシライスが好きで、亡くなる十一日前にも代官山のお店でいっしょに食事をしたといいます。映画や芝居好きも有名で、いいものはすべて自分の〝芸の肥やし〟にしていました。おそらく、正子さんも、渥美さんの映画や芝居鑑賞には、ずいぶんと付き合わされたんじゃないでしょうか。二人でいっしょに映画や芝居を見て、二人でいっしょに歩いて、いろんなことを話し合って…。ほんとうに、一生懸命に夫婦として生きてきた二人だと思います。渥美さんは、自分の弱い身体を支え、亡くなる瞬間までともに過ごしてくれた正子さんを、心底愛していたのではないでしょうか。
 正子さんが、まだ中学生だったころ、自宅に遊びに来ていた渥美さんに、「大きくなったら、お嫁さんになってあげる」と言ったことがあったそうです。その言葉を信じて、渥美さんは、正子さんが大学を卒業するまで、十年も待っていたのです。あの無神論者だった渥美さんが、亡くなる直前にクリスチャンの洗礼を受けたことでも、正子さんに捧げた愛の深さがわかります(正子さんはミッションスクールの白百合学園出身で、学生のころからクリスチャンだった)。(一九九六年肝臓がん 享年68歳)


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