2021年御翼7月号その1

       

お金は主人か、召使いか ―― ケン・シゲマツ牧師

 お金は、単なる交換の媒体ではありません。イエスが指摘されたように、それはライバルとなる一つの神です。「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」(マタイ六・二四)。実際にイエスは、富という箇所にマモンという言葉をお使いになりました。マモンという言葉は、「私たちが信頼を置くもの」という意味です。
 お金の魔力に取りつかれているのは、なにもお金持ちと野心家だけではありません。私たちすべても、お金の影響を受けています。「あとほんの少しだけ多ければ」満足すると思っています。かつてマルティン・ルターは、私たちがキリストに回心するとき、三つの回心を経験すると言いました。私たちの心と頭と財布の回心です。実際、人が心から回心しているかどうかを最も具体的に示すのが、お金に対する態度の変化です。人は、生きる目的を明確に持つほど物質的なものに頼らなくなります。キリストを深く知ること以上に、満足感を与えるものはないとパウロは確信していました。 
幸せはお金で買えないという考え方は世の中の流れに逆らうものです。しかし、キリストとの関係や聖霊の満たしによって、私たちは自由への狭き道があることを発見します。キリストにあって「富んでいる」ことを学び、物よりも人に価値を見いだします。旧約聖書では、神の祝福は直接土地に関連したもので、作物の豊作やミルクやはちみつの豊かな収穫量で表されることが多いようでした。しかし、新約聖書の時代になると、神の祝福は物質的な物から霊的なことへと移行します。つまり、私たちが豊かに献金すると、物質的祝福が与えられる場合もあれば、霊的祝福が与えられる場合もあるということです。
神を深く信頼できること、試練のただ中で平安が与えられること、人に霊的な影響力を持つことなど、これらすべては神から与えられる霊的祝福です。神がどれほど豊かに与えてくださったかを知ると、徹底した献金で感謝を表したくなります。もともと、私たちのお金はすべて神のものだということを忘れてはいけません。持っている物を自由に与える人が、真に富む人です。お金は、神と隣人を愛するための手段として用いるものです。

カギは、私たちがどれほど祝福され、キリストにあって計り知れない宝を与えられたかを自覚することです。もし神が私たちによくしてくださっていると知るなら(収入を得るための賜物を与え、教育や働く機会も与えてくださったと信じることができれば)、感謝の気持ちをもって、豊かに私たちの宝を神に返すことができるのです。
霊的祝福とは、神を深く信頼できること、試練のただ中で平安が与えられること、人に霊的な影響力を持つことなどです。

ケン・シゲマツ『忙しい人を支える賢者の生活リズム』(いのちのことば社)より抜粋 

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