2021年御翼5月号その4

       

富の定義 ------ 内村鑑三

  「富と徳」(明治三十六年)内村鑑三全集11より
 富の定義、徳の定義を陳(の)べて置く必要があります、第一に富は金銭(かね)ではありません。富は金なりと合点して居る世の俗人から観ますれば幾万の貨幣(かね)を所有(もつ)て居る人は洵(まこと)に羨(うらや)むべき分限者(ぶんげんしゃ)(上下・尊卑の区別などによって定まる身分)であります、則(すなわ)ち円銭厘(えんりんせん)は富を測る唯一の標準になつて居るのでありますが、併(しか)しこれは正鵠(まとを)外れた俗見たるに過ぎません。金銭(かね)の無い所にも富は有ります、富そのものが必ず金銭(かね)に伴ふものとは限りません、世には金持ちの貧乏人が沢山生活して居ることを私共は知て居ります。経済学者に倣(なら)うて富の定義を下して見ますれば富は使用し得る力であります、即ち富は力(フォース)の代表者であります、一円札と雖(いえど)もたゞの紙片ではありません、これは労働の代表即ち一種の力(ちから)が紙の姿を取って現れ出たものであります、今富なるものを分析して見ると力(ちから)と使用者との二つに分かれますが、この二つなしには富は決して生じて来るものではありません、力なくんば富がないと同時に使用者其人を得ずんば富は有て毫(ごう)(ごくわずかなもの)其効(そのかひ)なきものであります、此の二者(ふたつ)が具(そな)はらない間は何時(いつ)まで経(た)つても富の好結果を見ることは出来ません、

 私たちが豊かに献金すると、物質的祝福が与えられる場合もあれば、霊的祝福が与えられる場合もあるのだ。神を深く信頼できること、試練のただ中で平安が与えられること、霊的な影響力を持つことなど、これらすべては神から与えられる霊的祝福である。神が収入を得るための賜物を与え、教育や働く機会も与えてくだ さったと信じることができれば、私たちは感謝の気持ちをもって、豊かに私たちの宝を神にお返しすることができる。
ケン・シゲマス『忙しい人を支える賢者の生活リズム』(いのちのことば社)

人に霊的な影響力を与えられることも真の富であるという。しかし、お金をたくさん持っているはずの政治家には、霊的な豊かさ、真の豊かさを感じさせない者がいる。なぜならば、与えることよりも、自分の立場を守ることを考えているからであろう。一方、シューラー牧師、賀川豊彦牧師など、柔和で豊かな表情をしている。社会に対して影響力があり、多くの財を集め、善いことを成し遂げた。



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