2020年御翼3月号その1

         

心、絆、愛など人間の本質的なものに気づかせてくれる知的障がい者

 ジャン・バニエ(フランス系カナダ人のカトリック信者)は、イギリスの海軍兵学校を卒業後、カナダ海軍の将校となっていた。ところが一九六四年の夏、知能障がい児たちが施設において、人間としてではなく、物のように扱われているのを見て、自宅を開放し、知的障がい者と共同生活をする施設を始める。
 産業国では、成功、仕事、効率、金銭のみに価値が置かれる傾向がある。そして、知的ハンディを持つ人を、自然の「失敗作」、人間「以下のもの」としてとらえがちなのだ。一般的に、ハンディを持つ子どもが生まれると、家族は悲劇的状況に陥ると思われている。そして、知的障がい者を大きな施設に、まるで刑務所のように閉じこめてしまおうとする。
 しかし、知的ハンディを持つ人は、特別な治療を必要とする人ではない。彼らにはできる限り人間的に接し、街の中で近隣の人と交流させ、友をつくらせ、自分の人生に意味を見出すよう励ましてあげなければならない。そして、もっと知るべきことは、弱い人たちを助けていると、やがてその人たちが、私たちに人間性の本質を見出す手助けをしてくれるということである。人は愛するために神によって造られた。知的障がいを持つ人は、心、絆、愛といった人間性を見出せるよう、手伝ってくれる。それは、これら弱い者の中にキリストがおられ、キリストがこれらの人を通して私たちに人間として何が大切かを教えてくれるからである。(マタイの福音書25章40節 「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」 新改訳二〇一七)
 バニエ氏自身もそれまでは、常に成功し、人から賞賛されていなければ気が済まなかった。自分の欠点は認めず、他人を非難してしまう。海軍の教育のおかげで、効率や迅速さを求める。一方、本当の友と言える者はいなかった。ところが、知能障がい者の多くは成功とか競争とは無縁で、人を区別せず、訪問客を喜んで迎える。文化や習慣にもとらわれず、職業や地位を気にしない。純粋に心を見るのだ。仮面をつけず、顔に、喜びや怒りを素直に表す。そしてゆるす力、争いの傷を乗り越える力は、とても大きい。ハンディを持つ彼らは、私たちに愛の道を示してくれる。彼らと生活を共にするうちに、いつしかバニエ氏も優しい愛の人に変えられていった。力や成功、権力や効率の世界ではなく、愛の世界が開かれていったのである。
「愛するとは、何かをしてあげることでなく、『その人の素晴
らしさに気づく事』です。その人の隠れた価値や美しさを、
気付かせてあげることです。人は、愛されて初めて、愛され
るにふさわしいものになります」 ジャン・バニエ
 バニエ氏は一九六四年に、知的障がいや発達障がいなどのハンディを持つ人々と持たない人々が暮らす「ラルシュ共同体」を創設した(「ラルシュ」とは、フランス語で「方舟(はこぶね)」を意味する)。そこは、障がいを持つ人を保護する施設ではなく、皆で道を求める生活コミュニティーなのだ。人は、障がいがあるなしにかかわらず、各自が人間的に成長する事が求められる。弱い人のそばに行くと、人は自己の弱さを見出す。弱さは辛いものではあるが、同時に、そこには神からの力が与えられる体験がある。そうなると、知的ハンディを持つ人は、善行の対象ではなく、人を導く一人の人間として共に生きることが実現して行く。ジャン・バニエの思想で特徴的なのは、理性的に優れた人が立派な人間で、知的ハンディがある人が劣った人間であるという現代社会の人間観そのものに異を唱え、人間の可能性の中でもっとも大切なものは、理性的な能力ではなく、愛する能力であるとしている点である(障がい者には価値がないと、国内の施設で大量殺人事件が起きた)。それぞれ弱さを持つ人間が、ありのままの相手と自分の存在を喜ぶ関係が人間には必要であり、そのような関係性のなかで人間らしく成長することができる。
 ラルシュは現在38カ国に154あり、日本では一九七八年に静岡市で始まった「ラルシュ かなの家」がある(カナは、イエス様が最初に奇跡を行なった地)。「かなの家」の創設者はかつて、障がい者に仕事をしてもらい、自立を目指すという運営をしていた。その方針に行き詰まっていた頃、バニエ氏と出会う。バニエ氏は、「仕事も大切ですが、人間にとってより価値のある、ともに食事をすることに心を向けてください」と「かなの家」に伝えた。さらに驚きだったことは、「いのちについて、許しについて、根源的な愛にこたえることについて、障がいを持つ人こそが、障がいを持たない人を導く」と語った。それ以来、「かなの家」もラルシュのような運営方針になり、一九九八年、「かなの家」は、国際ラルシュ正式メンバーとして認められた。
 バニエ氏は二〇一五年、宗教分野のノーベル賞とも言われるテンプルトン賞を受賞し、二〇一九年五月七日、パリで死去、90歳であった。バニエ氏が死去の数日前に残したメッセージは「私は深い平安と信頼の中にある。未来はどうなるか分からないが、神は良いお方であり、何が起ころうともそれは最善である。私は幸せで、すべてに感謝している。あなたがた一人一人に心からの愛を」である。
 人間には、効率とか能力ではなく、愛と赦しが一番大切だということを教えてくれることに特化したのが、「知的障がい者」なのだ。同居する、障がいを持たない者がそれらを学べるのは、霊的な種を蒔く者が、永遠の命を刈り取っている姿である。


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