2019年御翼3月号その2

                           

「赦し」のない結婚なんて考えられないージャンポルスキー博士夫妻

 「人生の目的は、『愛すること』『ゆるすこと』だと信じれば、私たちは人生のより深い意味を体験しはじめることになります」と、クリスチャンの精神医学者のジェラルド・G・ジャンポルスキー博士は言う。更に、「どんな人間関係も、赦しを実践するためにあり、赦しの無い結婚など考えられない」と博士は言う。良い結婚は、クリスチャンの最も素晴らしい局面「赦し」が反映されていなければならないのだ。
 ジャンポルスキー博士は、かつては無神論者で、物質的な成功を求めていた。しかし、それでは幸せや心の安らぎを得られず、アルコール依存症となり、一九七五年、結婚20年目にして離婚した。離婚を機にアルコール依存症を克服したジャンポルスキー博士は、霊的なことを求めて生きる選択をする。そして、臨床心理学博士のダイアンと再婚し、神の愛と赦しを実践するための夫婦関係を築いている。信仰を持っていない頃の博士は、自分の欲求を満たすために生きるエゴイストであった。博士はその著書『ゆるしのレッスン』の中で、エゴ(自我、利己主義)について以下のように述べている。「私たちのエゴは、人生の目的は裁くこと、攻撃すること、争うこと、ゆるさないことだ、と確信しています。なぜなら、エゴの目的は与えることでなく奪うことだからです。エゴの声に耳を傾けると、神の存在をすっかり忘れてしまいます。そして、物質、経済的な安定、お金を、神として祭りあげるのです」と。自分中心に生きるエゴイズムは、真の神を神とせず、物質、金銭を神とする偶像礼拝を生むのだ。
一方、キリスト教において赦しはいつも中心のテーマである。キリストの恵みとは、すなわち赦しであり、人は神に赦され、互いに赦し合った時に、初めて平安を得る。私たちが相手を無条件で赦すのは、主イエスが十字架上でこう祈られたからである。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23・34)と。主イエスは、敵が謝りに来るのを待つことなく、相手を先に赦された。これが私たちの平安への道であり、神の御導きを得る近道なのだ。赦すか赦さないかは、各自の自由意志による。
 素晴らしい結婚生活を送りたければ、まず相手を赦し、受け入れよう。惨めな結婚生活、人生を送りたければ、相手を赦さないことである。赦すか赦さないかは、各自の自由意志をもって決められることである。そして、赦しの無い結婚など考えられないのだ。あらゆる人間関係は、赦しを実践するためにある。そして感謝の言葉を述べ、神の祝福を得る生涯を送ろう。
 結婚前から酒癖が悪かったエドは、結婚後、次第に奥さんと精神的な距離が広がる。そしてエドは近所の女性と不倫し始める。1990年代半ばにこの夫婦は牧師のもとを訪れ、エドが妻のキャロルに不倫を打ち明けた。当然キャロルは怒り、絶対に赦さないと言った。しかし牧師は、「夫を攻撃し始めたら、溝は深まり、よりを戻す可能性はなくなる」とキャロルに忠告した。2人はそれぞれカウンセリングを受けながら別居し、自分一人で自らの気持ちと取り組むことになった。道のりは長く辛いが、ゼロから新しい関係を築こうというのだ。
 最初2人は、電話で連絡し合うだけだったのが、やがて会話が長く続くようになり、打ち解けてきたので、互いを訪問するようになった。エドは罪を認め、酒もやめ、喜びと自由を得た。キャロルも辛かったが、再びやり直すことには前向きで、エドに対して新しい愛を感じ始めた。そのキャロルも、2人の亀裂に関して自分に全く非がないとは言えないことに気づき、エドを完全に赦したいと思うようになった。そして10ヶ月後、2人はまた一緒になったのだ。どんな夫婦であっても、互いに赦し、愛し合い、新しく生まれ変わることはできる。


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