2018年御翼4月号その1

                           

結婚の意義―内村鑑三

 昭和3年5月23日 述 『内村鑑三全集』31巻より抜粋
○結婚は神の定め給ひし律令(おきて)でありまして、人生の必要であります。神は人を男女に造り給へりとあります。即ち人を男女に分かちて造り給へりとの事であります。男女は何れも人の半分でありて、二者相合して一人の人と成るとの事であります。
○故に結婚は単に幸福の点より考ふる事は出来ません。又血統伝承の必要より論ずる事は出来ません。結婚は人格完成の必要より考ふべきであると思ひます。或る特別の場合を除くの外は、結婚は男女孰(いず)れに取りても其本文を完うする為に必要であるのであります。結婚に由り男は更らに男らしく成り、女は更らに女らしくなるのであります。之に幸福の伴ふは之に人格養成上の必要があるからであります。「神 言ひ給ひけるは人独りなるは宜しからず。我れ彼の為に彼に適ふ助者(たすけ)を造らん」とあるは此事であると思ひます。「助者」は補充者であります。欠けたる所を補ふ者であります。
○補充者であります。故に対等であります。但し単なる法律上の対等でありません。実質上の対等であります。女が男に負ふ丈(だ)け、それ丈(だ)け男は女に負ふ所があるのであります。対等であります。故に相互に対し尊敬があります。本当の愛は尊敬の在る所にのみ在ります。対等であります。然し神の定め給ひし順序があります。「女の首(かしら)は男なり、男は女より出しに非ず 女は男より出しなり、男は女の為に造られしに非ず、女は男の為に造られし也」とあります。男は神の代表者として造られ、女は男の補助者として造られたのであります。共に神に事(つか)ふべきであります。然し男は指導者として、女は助けてとして事ふべきであります。此場合に於て妻が夫に従ふは神に従ふの途であります。神の律法に従ふ所に於てのみ真の自由があります。男は神を首(かしら)に戴いて真の自由を得、女は神の代表者なる男を首に戴いて、是れ亦真の自由を得るのであります。
○如此くにして、結婚は単に一人の男と一人の女との為に行はるゝ事でありません。家の為、社会の為、国の為であり、更らに神の為、世界人類の為であります。人は何人も己が為に生きず又死なずとありまするが故に、結婚も亦己が為にのみ行ふのではありません。之に由りて社界の幸福を増進せんが為め、又神の御栄光を顕はさんが為であります。そして結婚を公的に解して、結婚生活を公益の為に営まんと努むる所に、そこに神の祝福が裕かに加はりて本当の幸福が宿るのであります。

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