2018年御翼2月号その1

                           

幸福な結婚のために ―― カッパー/ウィリアムズ

  問題なのは、わたしたちの多くは、ある日、ある人を気違いのように愛するようになり、三か月もたたないうちに彼または彼女につくづくうんざりするようになり得ることです。「愛している」ということは、非常に幸福な結婚にまで発展するかもしれませんが、またいちばん似合わしくない人に夢中になることかもしれないのです。C・S・ルイスはこの問題全休を要約して次のように言っています。「恋は永続きすることではありせん。また、そうあるべきものだとも思いません。わたしには、それはエンジンを動き出させる一種の爆発だと思われます」と。幸福な結婚のためには、ただ感情的な衝動以上のものが必要であることを悟ることが、大切なのです。完全な家族というものは、しっかりとして変らない結婚生活の基礎の上に立っていますし、家族の結合は国力の基礎です。一家族の影響の及ぶ範囲は測り知れないものです。それはどんどん拡がっていく円のように、国民生活の中に放射されます。わたしたちはまた、自分の選択がこれから生まれてくる子供たちの性格を決定することも悟らなければなりません。ですから、このことは、気まぐれや酔興(すいきょう)の問題ではなくて、どんな結果をもたらすかをよく考えて、祈りをもって近づかなければならない問題なのです。
 一例を申しますと、よい家庭の背景をもった、キリスト者のある娘は、どんな結果が起こり得るか、全く無知であったときに、全く害のない程度のからだの接近だと見なした事を許しました。そして程なく、後で結婚していることがわかったひとりの男性と、常習的に同棲したのです。ひとたび、自分の熱情が呼びさまされてしまうと、それを制御する力がなかったと彼女は説明して言いました。こういう形の事件は、医者としての経験においては、まれなものではありません。肉体的な親密さの危険は、肉体が第一義となり、わたしたちの判断力が非常に乱されることです。肉体的な親密さと接触は真の愛の前ぶれでもなければ、本質でもないことは強調しなければなりません。結婚は最も広く、最も深い基礎をもつ友情であることを、わたしたちはこの段階でもうすこし強調しなければなりません。肉体面は節度を失いやすく、それゆえ、それ自体が目的になりやすいのです。
 他の人たちに奉仕するために、わたしたちの愛を用いることのできる情緒的な力のはけ口はたくさんあります。青年会、キャンプ、家庭集会、聖書研究会、教会学校というように、指導者や教師を是非必要としている所はたくさんあります。わたしたちの余暇のいく分かは、とにかく、自分よりも若い人々の間の、そのような仕事につかうべきです。そうすることにより、自分の性格を磨いて、どんな恋愛遊戯からも得られないもっと充実した、更に完全で深い満足を与える経験を得るその時を静かに待ちましょう。
W・M・カッパー/H・M・ウィリアムズ共著『幸福な結婚』(聖書同盟)より

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