御翼2018年1月号その1

                           

奇跡のスーパーマーケット―― アーサー・T・デモーラス

 マーケット・バスケットは、アメリカ北東部マサチューセッツ州を中心に、72の支店を持つスーパーマーケットである。社長のアーサー・T・デモーラスの経営方針は、「まず人が大事、商売は二の次だ」であった。デモーラス一家は、一〇〇年前にギリシャから移民してきたギリシャ正教の一族であり、祖父が始めた小さな食料品店は、聖書の教えに従って「お客様を第一に考える」経営哲学によって開店した。商売は二の次、祖父は地域との繋がりを何より大事にした。その後、跡を継いだ二人の息子は、町の小さな食料品店を、数十店舗からなる一大チェーンへと成長させたのだった。そして、店が大きくなろうと、『人を大切にし、人に奉仕する』精神を二人は忘れる事はなかった。低所得者層に向けどこよりも安い値段で販売しながら、利益の中から病院や大学に寄付をするなど、地域社会にも貢献していた。
二〇〇八年、社長に就任したアーサー・Tは、父の店で高校生の頃から修行を始め、数十年かけて、マーケット・バスケットの精神を学んだ。アーサー・T顧客ファーストを徹底し、彼が祖父から受け継いだ精神は従業員にもいきわたり、彼らは客と当たり前のように挨拶を交わし、心のこもった接客を行った。 身寄りのない高齢者も、貧しい人も、ここでは皆が家族のように扱われた。アーサー・Tが大切にしたのは、何も顧客だけではなく、店で働く従業員も同様だった。 多くの従業員がそんなアーサー・Tと一緒に、マーケット・バスケットで働くことに誇りとやり甲斐を感じていた。
 ところが、ある日突然、マーケット・バスケットの取締役会が、アーサー・Tを解雇した。創業者の孫(アーサー・Tのいとこ)が株の過半数を取得し、経営権を握り、会社の方針を思うままにしようとしたのだ。いとこ側は、従業員の給料アップを抑え、人員を整理し、浮いたお金を株主たちへ配ることを要求した。 その最大の株主の一人が、いとこ本人だった。残された幹部社員たちは、賛同する従業員らとストライキを決行する。マーケット・バスケットの物流センターの機能を停止し、各店舗への商品の配送を止めたのだった。食料品の補充がなければ売り上げが下がり、新しい経営者の責任問題となる。そこで商品の配送と引き換えにアーサー・Tの復帰を要求しようとしたのだ。
 その計画を知った新しい経営陣は、ストライキに参加した場合、クビにするという脅しのメールを全従業員に送った。しかし、物流センターで働く七〇〇名の従業員たちのほとんどがストライキに参加の意思を表明し、元社長を取り戻す為のかつてないストライキが始まった。この事態を受け、新経営陣は物流センター長他、幹部たち8名に解雇通知を出す。首謀者をクビにすれば、ストライキを終わりにすることができる、との判断からだった。ところが、現場で働く従業員たちはアーサー・Tをクビにしたことへの抗議の意思をポスターなどにして、訪れる客たちの見える場所に貼り出した。中には、社長を取り戻すため、クビになるのを覚悟で不買運動を呼びかける者もいた。ストライキ開始から2週間、アーサー・Tが復帰する目処も一向に立たず、膠着状態が続く。すると、お客が他のスーパーで買い物をしたレシートを店に貼り始めた。それは、アーサー・Tが戻るまでマーケット・バスケットで買い物をしないという客たちのボイコット宣言だった。更に、客たちが率先して署名活動を開始、集会まで開かれた。一〇〇年前、祖父が小さな食料品店に込めた、人を大切にし、人に奉仕する思い、時代を超えて受け継がれたささやかな優しさ、それを忘れなかった人々が結集し、二〇〇万人もの住民が立ち上がったのだった。
 アーサー・T復帰のための抗議運動で司会を務めたスティーヴ・ポーレンカは、彼個人にとって意味深い、ある詩を読んだ。それは、反ナチ運動を行ったために一九三〇年代に強制収容所に送られた福音主義教会のマルティン・ニーメラー牧師の詩であった。人は自分自身の理想のために立ち上がらねばならないという内容である。

最初に彼らが社会主義者を弾圧したとき、私は声をあげなかった
なぜなら私は社会主義者ではなかったから
次に彼らが労働組合員を弾圧したとき、私は声をあげなかった
なぜなら私は労働組合員ではなかったから
その次に彼らがユダヤ人を弾圧したとき、私は声をあげなかった
なぜなら私はユダヤ人ではなかったから
そして、彼らが私を弾圧したとき、
私のために声をあげる人はただの一人も残っていなかった

 人間は、自分が考えている以上に、他人の苦しみと深い関わりがあるというこのメッセージは、詩の朗読を聞いた者の魂に響いた。マーケット・バスケットを救うことは、多くの人に役立つのだという思いを、人々に起こさせたのだった。
ストライキ開始から6週間後、『本日付でアーサー・T・デモーラスは、最高経営責任者に復帰した』というメールが全ての関係者の元に届く。アーサー・Tは退任後、すぐに資金調達に奔走し、いとこから株を買い取り(日本円にして一七〇〇億円)、経営者に返り咲いたのだ。当初、いとこは株式の売却を渋っていたが、このままでは街に雇用不安が広がるとして州知事が説得、やむなく同意したのだという。アーサー・Tは最初から、諦めてはいなかったのだ。アーサー・T復帰決定の報を聞き、すぐにトラックは走り出した。 翌朝、店舗には食料品が並び、アーサー・Tがマーケット・バスケットに帰ってきた。復帰を歓迎する大勢の前でアーサー・Tはスピーチした。「皆の姿を見ていると、天国(神の国)が地上に降りてきたみたいだ」と。

奇跡体験!アンビリバボー「アメリカのスーパーで起こった奇跡」フジテレビ 2017年11月9日放送 
ダニエル・コーシャン グランド・ウェルカー『奇跡のスーパーマーケット』(集英社インターナショナル)

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