2017年御翼6月号その1

                        

かくも長き道のり―― 渡辺和子シスター

 二・二六事件―― 天皇自らが政治を行う天皇親政を求めて決起した青年将校たちが、約1500名の兵を率いて、軍や政府の要人の屋敷を襲撃した。(実際には、陸軍の幹部らが事件にかかわっていたという)。
 陸軍教育総監・渡辺錠太郎(じょうたろう)を殺害した青年将校は死刑となり、その弟・安田善三郎さんは、事件50年後の法要のとき、犠牲者の渡辺錠太郎の娘・渡辺和子シスターが、兄の墓前で手を合わせたのを見たのがきっかけで、救われた思いがしたという。
 渡辺和子さん(2016年12月30日召天)は、29歳でシスターとなっているが、二・二六事件が起きたとき、9歳だった。1936(昭和11)年2月26日未明、将兵らが攻めてくるのを、拳銃を取り出して身構えていた父に、物陰に隠れるように言われた渡辺さんは、父が軽機関銃で撃たれる音をそこで聞き、二人の将校が土足で上がってきて、既に死んでいたであろう父にとどめを刺したのを目撃した。少女だった渡辺さんは、なぜか落ち着いており、父が亡くなったということ自体は、悲しくはなかったという。その理由は、自分が家族の中で唯一、父の最期を見届けており、最期まで父が自分のことを案じていたことが、父らしかったと感じていたからであろう、と渡辺さんは言う。そして、有難いことに、父は一人も殺すことはなかった。即ち、「自分の兵を殺さなかったという意味では、父は喜んでいるのではないでしょうか」、と渡辺さんは言う。
 渡辺シスターが、理事長をしていた岡山市のノートルダム清心女子大学の正面玄関には、渡辺さんが36歳という若さで学長になったとき、困難の中で、河野(こうの) 進牧師から贈られた詩が飾られている。

天の父さま
どんな不幸を吸っても
はくいきは
感謝でありますように
すべては恵みの
呼吸ですから
   河野 進

 「あなたが不幸だと思っていることも、神さまの恵みで、あなたのために必要だったのですよ。ある意味で、馬鹿にならないといけないときがあります。母が、『お父様は一番良い時にお亡くなりになった。あれで生きていらしたら、きっと戦争に巻き込まれて、縛り首になっていたかもしれない』と言っていました。と言えるようになるまで、つまり、不幸を吸ってから、恵みの呼吸だと言えるようになるまで、母も、私も何十年とかかりました。私には、父を撃ったり、殺したり、とどめを刺したりする人たちは、私にとっては敵ではなかった、ということです。赦しの対象ではなかったのです。後ろで糸を引いていて、自分を守るために、私には関係ないとおっしゃる方には、ある種の憎しみを持っています。それは、父を殺したからではなくて、(二・二六事件にかかわった1500名あまりの)たくさん兵隊たちが、戦争が始まると一番辛いところに送られて、(将校たちは)やめさせられ、自分は白(しら)を切ることができる…そういう人は、私の父ではなくてよかったと思います。不思議なことに、この方が父を殺した安田さんの弟さんだという気持ちは、殆ど持ったことがないです。有難いお恵みだと思います。不幸の息を吸うときから、感謝の息をはくときまでには、時間がかかることもあり、そういう時間の長さは、その人その人によって違うでしょうね」と渡辺シスターは言う。
NHK Eテレ こころの時代 私の戦後70年「かくも長き道のり」渡辺和子 2016.2.14放送より

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