2017年御翼2月号その2

                                     

山をも動かす信仰――これがその働きかたである

 山をも動かす信仰 「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」(マタイ17・20)
ステップ1 夢を見る
 山をも動かす信仰は夢を見ることからはじまる。疑いもなく、世界でもっとも偉大な力は創造的アイデアの力である。信仰は、想像する行為からスタートする。だれかが「偉大な人はいない。偉大なアイデアがあるだけだ」といった。信仰は、想像する行為からスタートする。「もし夢をもっていなかったとすれば、どうしてそれが実現するはずがあろうか?」まず、あなたの内部の神の力を利用して、あなたが達成したいものの絵を描くことからはじめなさい。
ステップ2 欲する
 自分がほんとうに山を動かしたいと望まないかぎり、だれも山を動かせると信じる人はいないであろう。ほんとうに成功しようと望む人にとっては、ほとんどのことが達成できるのである。自分の求めているものを知ったならば、あなたはそれらの欲望を検閲しなくてはならない。「これは正しいことだろうか? 神はこれをお望みになるだろうか? 神にこの冒険的企ての協力者になっていただけるだろうか?」と。
ステップ3 敢然と立ち向かう
 山をも動かす信仰とは、失敗する危険を冒して敢然と立ち向かうことである。ほんとうは、失敗しているのにそれに気がつかない人々が多い。彼らは、ほんのわずかな敗北も経験しないで人生を送っており、自分たちが成功していると考えているのである。だがほんとうは、彼らは人生に一度のチャンスを探しあて、発展させるチャンスを無視していることで、実際には失敗しているのである。彼らは失敗者であるのにそれに気づいていないのだ。
ステップ4 はじめる
 夢をもち、求め、あえて立ち向かうだけでは不十分である。われわれは、大きなアイデアを考え、冒険的夢を見るがけっしてスタートしない人々を知っている。山をも動かす信仰は、その夢が成功するのを妨げるものがあたかもまったく存在しないように、今や行動をとりはじめる。
 私が聞いた言葉のなかでもっとも役だつ文章のひとつはミシガン州のホープ大学の歴史を教えているミルトン・ヒンガ教授から得たものである。彼の教えている歴史のクラスの生徒のなかで、まだ期末レポートを書きはじめた生徒がだれもいないのを発見したとき、彼は立ちあがり、教室を歩き回ってこういった。「これから君たちが今までに聞いたこともない重要なことを話そう。」
 みんなは耳をそばだて、息をつめてこの重大な発表を待った。彼はおだやかに、だがしっかりと言った。「君たちが失敗したって私はかまわない。私がこの教室で教えたことのすべてを君たちが忘れたとしても私はかまわない。だが、つぎの文章だけは絶対に忘れてほしくない。」それから彼はひと息ついたあとで、大声でこういった。「はじめることは半分終えたことである!」
ステップ5 期待し、明け渡して待つ
 信仰とは忍耐である! 本当に成功する人は、どのような計画であっても、待つこと以外になにもできない段階を通る時期があることを知っている人である。危険なのは、このものうい時期に、我々はあきらめてしまいたくなることである。そのとき、我々ができる唯一のことは、十字架刑による死がさし迫ったと思われたとき、キリストが祈られたように、「父よ、あなたにとってはすべてが可能です。私にできなくても、あなたには可能です」と祈ることである。山をも動かす信仰は明け渡すこと「神に引き継いでいただくこと」なのだ。
 ロバート・H・シューラ―『積極的な考え方で成功する』(産業能率短期大学出版部刊)より

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